バンビーノ:FLゲームシリーズ(日本版)
Bambino:FL Game Series(Japanese Version)
基本解説 |

BambinoEmix 日本の電子機器メーカー・エミックス社が米国向けに製造していたバンビーノブランドのFLゲーム機群を日本に逆輸入したもの。エミックス社と提携して国内販売を担当したのは河田(のちのカワダ)だが、パッケージや本体に河田の社名は記されていない。米国版との違いは、日本語の取扱説明書が付属している点と、STマークや注意書きなどのシールが貼られている点(下の写真を参照)。
国内で発売された製品は以下のとおりで、米国版のラインナップから『フットボール・クラシック』を除いた9種類となっている。『レースンチェイス』以外の8機種は1980年4月25日から順次発売されていき、『レースンチェイス』は同年11月頃に日米でリリースされた。『UFOマスターブラスターステーション』のみ価格が安いのは、前年にトミーから発売された名称変更版『ミサイル遊撃作戦』(5,800円)を意識してのことだと思われるが、それでも1,000円高く設定されている。
●UFOマスターブラスターステーション(6,800円)
●スーパースター・フットボール(8,800円)
●ノッケムアウト・ボクシング(9,750円)
●スペースレーザーファイト(9,750円)
●バスケットボール・ドリブルアウェイ(8,800円)
●サッカー・キック・ザ・ゴール(8,800円)
●ラッキーパック・アイスホッケー(8,800円)
●サファリ(9,750円)
●レースンチェイス(9,750円)
※それぞれのリンク先は米国版の解説ページ
なお、これらの機種の日本版取扱説明書には「版権所有者 バンビーノ株式会社」と書かれている。日本国内におけるバンビーノ株式会社は1978年12月22日に設立されており、代表取締役はエミックス社と同じ羽山好雄氏。バンビーノブランドのFLゲーム機に関して、製造はエミックス社、権利所持はバンビーノ社に役割を振り分けた形となっている。

河田が取り扱った日本版のバンビーノFLゲーム機は、米国版と微妙な点が異なる。『サファリ』を使って、以下にその違いを紹介しよう。ちなみに、この写真は左が米国版、右が日本版。

日本版の違い・その1。日本語の取扱説明書が付属している。

日本版の違い・その2。パッケージのフタの部分にSTマークのシールが貼られている。

日本版の違い・その3。パッケージの裏側下部に「日本製」と書かれたシールが貼られている。

日本版の違い・その4。本体の電池フタに注意書きのシールが貼られている。
日本版取扱説明書の末尾。ここに書かれているバンビーノ社の住所は、登記簿謄本に記載されたエミックス社の住所と同じ。


シリーズの最高価格帯の商品は、9,750円という独特な価格設定。なお、当時の玩具店では、パッケージに直接値札を貼ることも珍しくなかった。
米国では1978年9月から続々と登場したバンビーノブランドのFLゲーム機だが、日本製であるこれらの機種が日本国内で販売されるまでには短くないタイムラグがあった。
国内販売の第1弾は、1979年4月にトミーがリリースした『ミサイル遊撃作戦』(『UFOマスターブラスターステーション』の名称変更版)。パッケージには「MCシリーズ」という肩書きが付いており、『スーパースター・フットボール』の名称変更版もそのシリーズに加わる予定だったが、何らかの事情でMCシリーズは1作で打ち切りになってしまった(詳しくはこちら)。
つづいて、1980年2月1日にエミックス社が「バンビーノ電子ゲーム発表説明会」を開催し、この時点で未発表の『レースンチェイス』を除く8機種を3月から国内で販売予定と発表する。月刊「トイズマガジン」1980年3月号によると、その流通経路は「バンビーノ販売株式会社を通して個々のデパートと折衝し、デパートから紹介された問屋経由で納入する」といった変則的な形だという。なお、このときの発表内容はほとんど実施されなかった可能性が高い。なぜなら、バンビーノ販売株式会社が実在した痕跡が見つからない(※1)のに加えて、少しあとに下記のような別ルートでの国内販売がスタートしているからである。
月刊「トイジャーナル」1980年6月号によると、バンビーノブランドのFLゲーム機の国内販売が本格的に始まったのは1980年4月25日。その流通を担当したのは、玩具の大手問屋のひとつである河田(のちのカワダ)だった。また、月刊「トイズマガジン」1980年5月増刊号の河田の記事では、「かねてより折衝を続けてきたエミックス社との国内独占販売契約が成立し、話題のバンビーノLSIゲームを発売した」と記されている。注目したいのは、エミックス社と河田の契約交渉が長期に及んでいたことを示唆する「かねてより」という言葉だが、はたしてその交渉が前年のトミーのMCシリーズ打ち切りに影響を与えたのかどうか、それは定かではない。
※1……法務局にエミックス株式会社とバンビーノ株式会社の登記簿謄本(および閉鎖登記簿謄本)は存在するのに対して、バンビーノ販売株式会社のものは存在しない

トミーから発売された『ミサイル遊撃作戦』は、『UFOマスターブラスターステーション』の名称変更版。日本で最初に登場したバンビーノブランドのFLゲーム機は、この機種だった。
バンビーノブランドのFLゲーム機の国内販売が開始された1980年前半、プロモーション的な意味合いも含むだろうが、その凄さをアピールする記事が複数の雑誌に掲載された。
「タイム誌をはじめ全米のマスコミが取り上げている」(「週刊ポスト」1980年2月29日号)
「エミックス社が開発したバンビーノシリーズは、昨年アメリカで2億5000万ドル(約540億円)も売れた爆発的人気マシーン。これが逆輸入されてついに売り出される」(「週刊平凡」1980年3月13日号)
「米国では680万個のオーダーがあったが、生産が追いつかず100万個しか出荷できなかった」(月刊「トイジャーナル」1980年3月号)
なかでも月刊「マネジメント」1980年4月号の「この会社・このトップ」という記事では、エミックス社・羽山好雄社長(当時42歳)への取材を交えながら同社の勢いを感じさせる記述が多数見られる。
「54年度(1979年度)売り上げは32.6億円(3月見込み)だが、来期は140億円が確実視されている」
「アメリカだけでも来期以降180億円を受注ずみである。それも、現金取引き以外には応じないという強気ぶり」
「バンク・オブ・アメリカはすでに「当面の用に」と、同社に2,000万ドルの融資を申し入れてきている」
さらに、国内販売開始後の1980年夏には認知度を高めるためにテレビCMを流し、11月の新製品『レースンチェイス』の発売時には人気漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のアニメを使ったテレビCMも投入した。また、1980年12月中旬発売の「週刊少年キング」1981年1月5日号と1月12日号の2冊には、「アメリカから帰って来た、バンビーノ電子ゲーム」というキャッチコピー付きで全機種を並べた見開きカラー広告を展開(その広告には国内未発売の『フットボール・クラシック』も「発売予定」として掲載されている)。こうした各種記事やプロモーション活動により、翌1981年はバンビーノブランドのFLゲーム機とエミックス社にとって、さらなる飛躍の年になるだろうと予感した人もいたに違いない。
ところが――。1981年に平凡社から発行された「百科年鑑1981」には、次のような一文が掲載されている。「1980年12月22日、電子玩具メーカーのエミックスが倒産、負債総額は40億円」。その理由について、月刊「近代中小企業」1981年2月号には「輸出不振」、「週刊ダイヤモンド」1981年3月7日号には「アメリカ市場でのブームを過大に見込み、失敗した。背伸び型で倒産したひとつのケースだ」と記されていた。これらの記述からは、バンビーノFLゲーム機が米国で想定どおりには売れ続けてくれなかったことが読み取れる。
前述の月刊「マネジメント」1980年4月号の「1979年度売り上げは32.6億円、来期は140億円」という売り上げ予測を踏まえると、エミックス社は1980年度の生産体制を強化すべく、相応の規模の人員増強や設備投資、外部への大量発注などに踏み切っていたはずである。しかし、米国からの受注が急減したとすれば、会社の資金繰りは一気に悪化したと考えられる。頼みの綱になったと思われるのが河田と手を組んだ国内販売だが、1980年度の月刊「トイジャーナル」および「トイズマガジン」の売れ筋調査を見るかぎり、『ノッケムアウト・ボクシング』と『スペースレーザーファイト』の名前がかろうじて挙がるくらいのセールスしか記録できなかった。なにしろ1980年は、4月から続々とリリースされた「ゲーム&ウオッチ」シリーズのブームの導火線に火がついた年。5,800円でLCD(液晶)ゲームという新しいジャンルを提供した「ゲーム&ウオッチ」に対して、基本価格帯が8,800~9,750円で米国帰りを売りにしたバンビーノFLゲーム機では立ち向かうことは難しかった。
以上のような経緯により、「週刊少年キング」に派手な見開き広告を掲載した約1週間後には倒産してしまったエミックス社。コンピュータゲームの歴史においてその社名の知名度は決して高くはないが、世界で初めて本格的なFLゲーム機を開発したメーカーであると同時に、「ゲーム&ウオッチ」シリーズよりも先に固定絵柄の組み合わせで電子ゲームの画面を構成する手法を導入したメーカーであることをここに記しておきたい。

「少年キング」の広告に「発売予定」として掲載された『フットボール・クラシック』。広告掲載の約1週間後にエミックス社が倒産したため、日本国内で発売されることはなかった。
1982年頃、エミックス社とバンビーノFLゲーム機を知る者にとっては気になるLCDゲーム機が登場した。ブロンザ社が発売した『ハンター』と『パトロール』がそれだ。
『ハンター』はバンビーノブランドの『サファリ』のLCD版(機種名が『サファリ』そのままのバージョンも存在する)。『パトロール』は同じくバンビーノブランドの『レースンチェイス』のLCD版。どちらも、多少の調整を加えながらLCDの画面でバンビーノFLゲームの内容を忠実に再現している。下の写真のように、バンビーノとブロンザのロゴのフォントが一致しているのも注目したい点だ。
また、別の話になるが、市場に流通したバンビーノFLゲーム機の国内版『サファリ』には、取扱説明書に「株式会社ブロンザ」の名前が記された商品の存在が確認されている。国内版『サファリ』の販売は河田が担当しただけでなく、ブロンザ社もその一端を担ったということなのだろう。
ブロンザ社について調べるべく、法務局で登記簿謄本を確認したところ、株式会社ブロンザの設立日は1982年4月20日。すなわち、エミックス社およびバンビーノ社が倒産した約1年4ヵ月後に設立されている。その時期に『サファリ』や『レースンチェイス』のLCD移植版を発売し、さらにFL版『サファリ』の国内販売も手掛けたとなると、倒産したエミックス社およびバンビーノ社からゲーム機の権利や在庫を引き継いでいた可能性が高い。ちなみに、ブロンザ社の代表取締役は静岡県に住所を置いていた石川和男氏で、エミックス社およびバンビーノ社の代表取締役である羽山好雄氏とは別の人物。しかしながら、ブロンザ社の住所は神奈川県相模原市共和3丁目となっており、エミックス社の創業の地である神奈川県相模原市共和4丁目と極めて近い(ちなみにエミックス社の最終的な住所は、神奈川県相模原市若松4丁目)。ブロンザ社がエミックス社およびバンビーノ社とどのような関係にあったのか、その全容を知るには当時の関係者の証言が必要となる。

バンビーノ社とブロンザ社のロゴマークの比較。どちらも同じフォントが使われており、何らかの関係性を感じさせる。
『サファリ』のLCD版とも言える『ハンター』。同じ仕様で『サファリ』という名前が付いたバージョンも存在する。

FL版との大きな違いは、時計機能が付属している点。プレイ中は、「:」の左側に残り時間、右側に得点が表示される。出現する動物の種類や配置も変更された。


『レースンチェイス』のLCD版とも言える『パトロール』。

ギャングの車が撃ってくる弾丸の数がFL版よりも少なくなり、そのぶん難易度が下がった印象。
ブロンザ社製のLCDゲーム機には『ロデオ』という機種もある(写真右側)。ゲーム内容は『サファリ』のグラフィック変更版で、画面内に現れた馬の位置にカウボーイを移動させてすばやくボタンを押せば得点が入るというもの。
